草模様







  

前髪を舐める女      佐藤 さと           



草の 軽い幻惑に 浸りながら
私は 昨夜の男のことを 思い出していた。

乾いた髪と 痩せ細った 私の肩に
落ちてくる 二月の雨は
自虐的な快さを伴い 私の体温を確実に 冷やしていった。

けれども私の心は 冷たさを覚えなかった。

感情が 失せていた。

無意識の泥濘に溺れて 私は電車を待っていた。 
駅の蛍光灯から放たれた 蒼白い光を浴びながら・・・・・。

こうして 人の少なくなったホームに佇っていると
心細い気持ちが、よけいに拡がってくる様で
私は自然に 俯いてしまう。

雨に濡れたホームの ところどころに
生まれた小さな水溜りは 駅のそばにあるホテルのネオンが
赤く点滅しているのを映しだしていた。

すると 傍にいた優しそうな男の人が 自分の首に
巻きつけているやわらかい純白のマフラーを
私に差し出した。                    

は何のためらいもなく
その毛糸のマフラーを受け取り 首に巻いた。

彼は恋人。

私は彼の眼のなかで よく遊んだ。
褐色がかった透明の瞳は 私の身体を
とろけさせるように 包んだ.
私はその中で 白い樹液を飲み込み
永遠の生を得たように 思えた。


 
「海を見たい と 思うなら 眼を閉じればいい。
  潮騒の音を 聞きたかったら 耳朶を 掌で塞げばいい・・・・。」


彼の瞳は 私に 絶え間なく湧き出る 想像力を与えた。」

けれども それは私が勝手に作り出していた
儚い夢の一つだった。

 
ありがとう。身体はあたたまるわ、きっと。」

 
けれども 心は・・・・・・・。」

私は 白い息を吐く。

 「
・・・・・・ねえ、・・・今、 私、・・・何を 感じているのか・・・          あなたには おわかり?」

 
馬鹿。」

 
彼は 一言、そう言った.

 彼には 私の身体しか要らなかった。

ー哀しさでもない。 
 淋しさでもない。
 憂いでもない。
 憧れでもない。
 今、私の心には  
 一体どんな感情があるのか 解らない。

 私にはもう 
 眼も鼻も口も身体も必要ないのだわ。
 心が無いのですから・・・・・。


 
私は二月の雨の中にいても、
 八月の太陽の陽射しをうけて
 いるような感覚。
 でも、それは漠然としていますが・・・・・・。
 そんなものが あるみたいです。        

 私の足は なにを支えているのでしょう。
 浮いているのです。
 ふわふわと 風に流され 漂っているのです。−       
                 
 
「さ・よ・う・な・ら。私の思い出を大切にしてくれたひと。 」
                   

                                  

 
よく考えてみれば
 誰にだってそんな心の喪失した状態と
 いうものは
 あるのかも知れない。

 私は今まで 部屋にとじこもり
 自画像を描いていた。

白い顔に 黒い眼。
そして赤い唇。
描いている間に私は何を
見ていたのでしょう。
鏡の中にいる私の顔は、頬紅のせいもありますが
血色がよかったのに 私の描いたパステルの上には
蒼白い、まるで死人の様な 顔が描かれてあった。

ー私の顔には三つあることを知った。、
 私の眼の前にある自画像の顔と
 鏡の中にある私の顔と
 それと私の顔。−                    


ひとは 自分の顔を 絶対に自らの眼で 見る事ができない。
写真とか鏡とかで 間接的にでしか見ることができない。

けれども 今の私は
パステルに描かれた自分の顔が
一番 私の顔らしいと感じている。

私の顔。 

これが私の顔。 感情を表現する顔です。 

能面のような 死相をはらんでいる 私の顔。                


ああ、風の行き交う音がする。
私の髪がさわさわと 風に乗る。
私は この私の髪を靡かせてはいけない。
けれども 揺れる 揺れる 私の髪が・・・・・・・。

私は 思わず 前髪を
指に 挟んで口に含ませている。

                            
〔19歳
                                   




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